サッカー日本代表において海外組と国内組のレベルの差が顕著になった

シュート

1990年代後半から2000年代あたりまでは、サッカー日本代表内の海外組選手はそんなに多くありませんでした。そして、海外に移籍した場合は、現地に試合に出ていればほぼ自動的に代表に呼ばれていたようなところがあります。
そんな中、2002年にジーコ氏が代表監督となり明確に海外組を特別扱いしていた中、磐田の藤田俊哉選手は代表に戻るためにオランダに移籍して話題になりました。その結果、藤田選手はオランダで試合に出場できていたため目論み通り代表復帰に成功し、2004年には主力としてワールドカップ予選で活躍しています。

ただ、2010年代に入ると海外に移籍して試合に出場できていれば確実に代表に呼ばれるわけではなくなっていきました。なぜかというと、代表の選出枠は公式大会だと23人ですが、2010年代に入ってからそれを上回る日本人選手が海外でプレーするようになったからです。しかもJリーグの強化と国内組のモチベーション問題のためにメンバーがすべて海外組で埋まる事はなく、調子が悪いと呼ばれないケースが出てきました。

そのため、決して多くはない日本代表の中の海外組枠を巡る競争がどんどん熾烈となってきています。海外のトップリーグでプレーしている選手達は毎日100%の気持ちで練習に励んでレギュラーを獲得し、試合の中でも際立った好プレーを見せ続ける必要が出てきました。
海外でプレーする選手がそのような厳しい環境の中でぐんぐん実力を伸ばしてきていることから、Jリークでプレーする国内組とのレベルの差が顕著になってきています。